第14期生(1学年)第4回講座 郷土の歴史ロマンツアー 「のぼうの城」(成田氏)関係史跡見学

行田市民大学第14期生(1学年)の第4回講座 郷土の歴史ロマンツアー「のぼうの城」(成田氏)関係史跡見学が令和5年6月8日(木)に行田市文化財保護課中島洋一課長を講師に実施されました。

9時過ぎ、集合場所の行田市総合体育館(グリーンアリーナ)を出発し、関東地方が梅雨入りしたとみられると発表されるなか空模様を気にすることなく16時半過ぎ、成田氏の足跡をたどるバスツアー行程を無事に終えました。

1.龍淵寺

東堂様による成田一族の菩提寺の「龍淵寺600年の出来事」を拝聴し、昭和25年1月の消失を免れた成田系図、成田記、成田家人分限帳、銅鈴を説明いただいた後、成田氏墓を見学した。

成田氏は「成田系図」によれば大織冠鎌足を祖とする藤原北家の末裔と伝え、成田郷(熊谷市)を名字の地とする。成田家時は応永18年(1411)に道元禅師から9代目の法孫・和庵清順大和尚を開山として建立し成田氏一族の菩提寺とした。

成田氏は忍入城後に城下をはじめ領内各地の寺社造営を進めた。

2.上之村雷電神社

成田長泰が永禄元年(1558)5月に忍保雷電宮の扉を修造。成田家時が応永年間(1394~1428)に社殿を再建し神田を寄進。また、成田氏家臣の中村丹波守守吉が寄付した鰐口もあった。(社伝)

拝殿は元の門。2016年5月に開催されたG7伊勢志摩サミットの際に貸し出された絵馬の2枚、向かって右側:伊勢参宮の様子、左側:建物の配置、鳥居、参道、門、御本殿(左右に社)。久伊豆様として成田氏の崇敬を受ける。帰りには御祈禱を済ませたお塩とお米をいただきました。

3.「諏訪曲輪御門跡」の碑

4.忍城址(郷土博物館)

忍城の史料上の初見は古河公方足利成氏が別符宗幸に文明11年(1479)9月、忍城の防備について成田氏と相談すべきと命じている。

古文書に記載があり文明11年(1479)には忍城があった。沼地の中に城があり周りに高い建物はなく橋を渡って入城する。城の周りに武家屋敷、町人屋敷を配置。忍城の防衛線は①町の入り口に神社あり②町人屋敷③武家屋敷の3つ、橋を渡らないと入れない、攻めてこれない。御三階櫓はイメージ復元で位置も違う。今年は忍、桑名、白河の「三方領知替」(文政6年1823)から200年です。

行田馬車鉄道発着所跡

全面開通は明治34年6月、高崎線吹上停車場から小沼橋手前の下町を最終地点とした。道路に併設された単線狭軌。

5.「長野口御門跡」の碑

「長野口の合戦」はあったのか。船着場跡。星川の由来。北武鉄道(羽生~行田)現秩父鉄道の鉄橋橋桁の煉瓦。行田の俳句結社「浮城会」を結成した石島雉子郎の句碑「此巨犬 幾人雪に 救いけむ」

6.高源寺

(高源寺と天神社 2023年6月撮影)

成田氏長家臣の正木丹波守勝英が佐間口の合戦の戦死者を弔うために建立した寺です。正木丹波守勝英は天正18年(1590)の石田三成の忍城攻めには佐間口を守り固め、死闘を繰り広げたと伝えられている。近くの天神社付近が佐間口にあたります。

天祥寺

松平家の廟所があります。左:松平家9代忠堯 「三方領知替」で桑名から忍へ 中央:松平家11代忠国 沿岸警備への対応 ヒーローになり損ねたお殿様 津本陽の小説「開国」の主人公 右:松平家12代忠誠 忍城開城と明治新政府への対応

7.丸墓山古墳

(左:丸墓山古墳 右:稲荷山古墳 下:二子山古墳 2022年4月撮影)

築造年代は稲荷山古墳、二子山古墳に次ぐ唯一の円墳で直径105メートル。石田三成が忍城水攻めの時に本陣を構えた。現存する石田堤は丸墓山古墳前に約50メートルある。石田堤の長さは28キロメートルなどの諸説があるが14キロメートルが有力説。稲荷山古墳から出土した国宝金錯銘鉄剣の銘文にあるヲワケノミコは①近畿に生まれた豪族②ここに生まれて故郷に戻る際に鉄剣を貰う③家来の墓との説がある。文化財については保存と保護から保存から活用へ。学術用活用はもとより地元のまちづくりのなかにどう生かすか。

8.石田堤・堀切橋

なぜ豊臣秀吉は水攻めしたのか。戦国時代の領主は有利な方につき、成田氏も生き延びていた。成田氏は小田原北条氏につく。北条氏により主力部隊は①裏切られたくない②各所の戦いを避ける③関東の主要部のみ防備のために小田原に集められた。忍城は戦略上どうでもよい城とされ攻められず最後に残った城。秀吉が主導で水攻めを行う。秀吉が光成に命じた水攻めは、秀吉の威厳を示すため関東の中央で行ったデモンストレーション。堤が無駄に長い。短期間に長大な堤は洪水除けの土手を利用。秀吉は堤が完成したら7/16見に行くとしたが小田原城で殿様が降伏し忍城は7/14開城、引渡しとなり落ちなかった。成田記を忠実に再現。

9.石田堤史跡公園

10.清善寺

寺院草創は忍城主14代成田顕泰の弟、顕忠が永享12年(1440)平田精舎と称する館を造ったことに始まる。15代成田親泰は顕忠の死を悼み遺言通りに館を寺となし清善寺を創建するに至る。天文2年(1533)龍淵寺5世大翁宗佐和尚を迎えて開山とした。

ツアーを終えるにあたり「先人に学び新たなまちづくりに残りの人生をささげたい。いい街づくりをして子供に残す。みんなでいい街にしましょう。」と中島課長のご挨拶をいただき、今村理事長から「学んだことを目で見てみよう。」とツアーの意義を説明されました。

郷土の歴史ロマンツアーを終えて感想をいただきました

♦行田の歴史で知らない事が多いが、中島課長のユーモアたっぷりの説明で楽しく学べた。見学で見聞きしたことを講義の中で深めていきたい。(市内在住 男性)

♦成田氏にまつわる歴史ある寺社を知って感動した。中島課長の知識がほとばしる話芸で楽しかったです。(市内在住 女性)

 

 

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