13期生(1学年)第7回講座『郷土の地形の成り立ちと古代の歴史』

7月14日13期生(1学年)の第7回講座は行田市文化財保護課の中島洋一課長による

『郷土の地形の成り立ちと古代の歴史』について行われました。

中島洋一課長

 

 

 

 

 

 

 

1:最初に行田の地形の成り立ちについては、約1万前の行田の地形は現在と異なり、多少でこぼこがあったようです。川の流れも現在と異なり、荒川は現在の熊谷あたりで利根川と合流する支流だったようです。

 

 

 

 

 

2:行田のあけぼのについては、約1万年前の旧石器時代に現在の長野中学校の校庭から遺跡が発掘されていることから、人が住み始めていたようだ。

その後の縄文時代には、長野地区に小さな村が存在した様子が見えるとのことです。

 

 

 

 

 

3:米作りの始まりについては、日本における米作りは西のほうから北上するといわれているが、関東においては、北陸から東北方面を経由して南下してきたと考えられるようです。

熊谷と行田の境にある、「池上・小敷田遺跡」が北関東最古の農耕集落が出現し、大変貴重な遺跡との説明がありました。

 

4:さきたま古墳群の成立については、古墳時代の開拓書として人口が増加していたようで、愛知方面より、人が移動してきたようです。埼玉古墳群の成立については、埋葬された人物についてはいろいろな説があるようです。

また、この時代になると、渡来された遺跡等も発見されているようです。

古墳の築造も変化が見られ、初期の稲荷山古墳は、仁徳天皇領と同じ設計であったが、その後築造方法が変わり、八幡山古墳が築造されたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5その後のさきたまについては、利根川 荒川等の氾濫、気候変動等で、埼玉地区での生活が困窮したようで、武士等が生まれ、中世の時代になっていったようだとの話がありました。

 

中島課長の講座は、大変わかりやすく、今と全く異なる、行田地区の物語を、実際に発掘された資料等を見ながら、聞き入りました。

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