第12回1学年(12期生) 行田市の原点 日本一の足袋産業

10月21日はすでに3回の講義で12期生にもおなじみになった教育委員会の中島洋一先生が講師でした。

足袋といえば

平成29年にテレビドラマ陸王が放送され、大ヒットになり、市内で撮影も行われ市全体が沸いたことが思い出されます。

陸王でドイツ製のミシンが壊れ、それを閉鎖した工場から見つけ修理したというところがありましたが、本当にその通りだったと聞き、とても驚きました。

『講義内容』

(1)行田足袋の起源 1600年代に始まり享保年間「行田町絵図」に3軒の足袋屋が記されている。

行田市周辺は綿花の栽培が盛んで材料の入手が容易、また生産、販売が城下町であったので容易で、足袋作りが盛んになった。

(2)江戸時代(高級品)であったが明治時代は(大衆化)になり、明治10年足袋組合設立、その後、明治19年橋本喜助商店が最初の足袋工場を開設、忍町商工会会頭の今津徳之助氏中心で(電信仮設、郵便局での小包の取り扱い、忍商業銀行設立、忍馬車鉄道開業など)行田の足袋産業は飛躍していきます。折も折でNHK「青天を衝け」の場面が浮かんできました。

今津橋本

日清、日露戦争で軍需品を受注したのをきっかけに足袋工場建設ブームが起き、出荷を待つ時までしまっておく倉庫が必要になり、数多くの蔵(足袋蔵)が建てられた。

(3)大正時代(忍町全体が足袋作り一色に)生産工程の分業化が進み足袋関連産業が派生した。

(4)昭和時代  年間生産量が全国72%(昭和13年) “日本一の足袋のまち”となった。昭和26年にナイロン靴下が開発され、足袋産業は衰退、繊維産業に転換するも低迷し今に至る。

現在、足袋作り13の工程をすべてできるのは2社だけ、他の工場は欠けている工程は下請けに出しているということです。

(5)足袋蔵保存・活用  平成15年、小川忠次郎商店(のちの忠次郎蔵)の改修・修復、着手。

翌年『ぎょうだ足袋蔵ネットワーク』が設立された。その後、『彩々亭』『足袋とくらしの博物館』『行田釜』『翠玉堂』『カフェ閑居』などが次々開設され、スタンプラリー、「蔵めぐりまちあるき」などのイベントを開催している。

平成29年「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が日本遺産に認定された。

以上が本日の講義内容でした。自分の今の生活には遠いものとなってしまった足袋ですが、最近、テレビで行田市がたびたび放映されています。「八幡マルシェ」「花手水」これからの行田の未来が明るくなれば良いなと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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