1・2年合同第18回講座真観寺の歴史と仁王門

令和6年1月18日に行田グリーンアリーナで、行田市民大学・行田市民大学同窓会合同講演会が行われました。

この講演会は行田市民大学同窓会の企画研修委員会が企画し、市民大学・同窓会・一般市民の方々が参加しました。後席を増設し、たくさんの受講者が参加しました。

講師は行田市小見・真観寺第45世住職の中村重継氏。

最初に市民大学憲章を唱和し、司会者から講師の紹介がありました。

次に行田市民大学今村武蔵理事長が登壇し、最初に能登半島地震の犠牲者に黙とうしました。

今年は行田市民大学の15周年を迎えます。15周年記念講座として、5月に安岡定子(やすおか さだこ)氏の論語教室。9月に行田出身の女流棋士の矢内理絵子( やうちりえこ)氏の講座。1月以降には忍の松平家の殿さまの末裔の方の講座を予定しています。今年度の募集は15期生。みなさまよろしくお願いします。

とあいさつしました。

続いて、行田市民大学同窓会の永島宏章会長が、

120名以上の受講者が集まり、うれしいです。45世の中村住職から、古墳・歴史などのいろいろな話を聞けるのが楽しみです。以前、仁王門改修の工事についてお寺で話があり、この話を、同窓会や市民大学、多くの人に聞いてほしくて、企画しました。コロナはまだ心配だが、外に出て研究などを活発に行えるとよいと思います。

と話しました。

いよいよ中村重継(しげつぐ)住職の講義が始まりました。

始めに

私は鎌倉の最初から数えると45世の住職です。鎌倉以前のことがよくわからないのですが、記録に残る一番古いものを基準にしています。

真観寺の観音様は12年に一度8日間御開帳します。最近は平成26年。この最後の日に市民大学関係の人たちがたくさん見学に来ました。観音堂がきしむほどでした。平安時代の仏さまを近くで見られます。次の御開帳は令和8年なので、ぜひお越しください。

 

1古墳時代(3世紀中半~7世紀中半)

古墳時代の最後のころに小見真観寺古墳が築造されました。埼玉古墳群が5世紀~7世紀の築造。古墳の新規築造禁止となった「大化の薄葬令」は646年です。小見真観寺古墳は6世紀末~7世紀前半の築造。6世紀には榛名山噴火がありましたが、古墳軸は榛名山向きで富士山に直角です。普通お寺は南向きだが、真観寺と古墳は南西を向いています。全長は102m。古墳は新扇状地の扇頂にあります。

おみ」とは扇状地の末端で水が出るところという意味があります。行田には水にかかわる地名がたくさんあります。

郷(ごう) =は水が湧き出る  小玉(古くはわくだま)=わくは水が涌く

(まえ) =は水が湧き出る  埼(さきたま)=たまは水が涌く場所

よいたんぼは水持ちがよくて水はけがよい。行田市には稲作に適した水利を表す地名が並んでいる。

真観寺空撮写真

 

2真観寺の縁起書

「増補 忍名所図会」には鞍作止利(くらつくりのとり)」とある。

他にも坂之上田村麻呂将軍を開山とする縁起書等が伝わっている。

3奈良時代と平安時代

奈良時代は不明だが、11世紀には真観寺は成立していたようだ。

4平安時代末期

今から902年以上前の12世紀(1100年代)。真観寺に平安時代の定朝(じょうちょう)様式の聖観世音菩薩像が安置され、観音堂の本尊となる。ここの尊像を真観寺では「正観世音菩薩」と称している。正観世音菩薩像は「わりはぎ」「うちぐり」つくり。

 

木を彫り下から鉈(なた)入れて内側をくりぬき、膠(にかわ)でつないで「かすがい」で止める。1000年たっても大丈夫な作り。

5鎌倉時代初期

真観寺は鎌倉時代の建保年中(1214~1219)に瀧憲阿闍梨(りゅうけんあじゃり)が再興した。

仁王門は以前からあったようだが、中世から近世の歴史に名前がでてくる。

6室町時代

長享年間(1484~1487)足利党の兵火にかかる?

7戦国時代

元亀年間(1570~1573)足利党の兵火にかかる。

天正18年(1590)石田方の兵水にかかる。

8江戸時代

慶長9年(1603)に徳川家康公より御朱印10石を拝領した。

寛永11年(1634)に現在の本堂を再建。再建にあたり古墳を切り崩したところ、石室(第一主体部)が出土し、姿を現した。石室に石地蔵を安置『窟(いわや)地蔵』。

幕府と忍藩の保護を受け、馬の観音様として信徒を集めた。

9明治時代

明治27年に仁王楼門の屋根瓦を吹き替え。

10大正時代

大正12年関東大震災。

11昭和時代

何回か銅板屋根を吹き替え。

12平成時代

平成7年(1995)阪神淡路大震災

平成13年(2001)仁王楼門解体修理

平成23年(2011)東日本大震災

 

13令和時代

令和4年(2022)文化財としての調査を行う。

交換材料が多いため文化財にならず。

仁王楼門の扁額(へんがく)は「慈雲山(じうんさん)」

行田市下須戸出身の動潮(どうちょう)大僧正の揮ごう。

真言宗智山派寺院の真観寺は、慈雲山福聚院と号す。

 

古代から令和まで、歴史をたどりながら、真観寺の古墳や正観世音菩薩像、仁王楼門の話を楽しく詳しく講義していただきました。

お寺の歴史は地域の歴史。大きな古墳がここにあるということの歴史の重みを感じました。

中村住職、ありがとうございました。

 

 

このあと13期(2年生)は同窓会説明会に参加しました。

市民大学同窓会永島宏章会長からプロジェクターで行田市民大学卒業後と同窓会について詳しい説明がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Follow me!