13期(2学年)第2回講座「古墳時代の荒川舟運と埼玉古墳群の首長」
13期2学年2回講座 「古墳時代の荒川舟運と埼玉古墳群の首長」ー江南から戸田へ運ばれた埴輪・長瀞から千葉へ運ばれた石材ー
が5月18日に行田アリーナ研修室で行われた
講師は行田市郷土博物館協議会会長 若松良一先生。
最初に古墳時代の船はどのような船であったのかについて、若松先生の考えでは古墳から出土されているような船では、小さくて埴輪や石材を運ぶのは無理で、より大型の船が使用されたと考えられる。古墳から出土された船の形状は、死人を埋葬するための小型の船と考えるとの考えを説明された。
古墳時代の繁栄は、流通の主力の道具は船であることから、船を自由に扱うことができる、大きな川や海の近くの土地選ばれたようだ。
行田市にある埼玉古墳群は、
稲荷山古墳は長瀞の石、将軍山古墳は千葉県富津市付近の石、鉄砲山古墳は群馬県渋川の石
埴輪は熊谷や鴻巣と近くで制作されたようです。
石や埴輪は荒川や利根川を利用できる場所、すなわち行田の埼玉が繫栄したのではないかとのことです。
まとめとして、「埼玉古墳群の王者は権力をどう築いたのか」
1:広大な低地の開発に成功した(灌漑技術)
2:比企地方を支配下に置いた(武力統率力)
3:荒川と」利根川の船運を開いた(交通整備)
4:埴輪を作る土師部を組織した(手工業支配)
5:古墳を作る石部などを組織した(造墓外構)
6:埴輪を遠方まで運んで利益を得た
7:石材を遠方まで船で運んで利益を得た
8:秩父の木材を船で運んで利益を得た
9:利根川縁の馬牧で馬を飼育した(軍事力)
以上、若松先生の豊富な知識で分かりやすく、2時間の講座がとても短く感じらえました。
ありがとうございました。