16期生1学年第5回講座 郷土の地形の成り立ちと古代の歴史

6月12日、1学年の講座は『郷土の地形の成り立ちと古代の歴史』講師は行田市教育委員会文化財保護課の中島洋一先生
分かり易く楽しく写真や図解により説明していただきました。

講義内容                                                                               1.行田の地形の成り立ち                                                                             行田市は、地質が違う妻沼低地と加須低地の間に位置する地域で                                                      荒川と利根川という二つの重要な河川に接近している                                                           古来、荒川と利根川は、合流し、現在に至るまで流路が複雑に変遷 洪水が頻繁にあり、土が流れて土砂がたまっていった。

古代の荒川と利根川

真名板高山古墳(まないた たかやまこふん)、酒巻古墳群(さかまきこふんぐん)は利根川などの土砂や関東造盆地運動により埋没

真名板高山古墳

酒巻21号発掘調査背景

酒巻21号発掘調査風景

2.行田のあけぼの(石器、縄文(狩猟採取)時代)
石器、縄文(狩猟採取)時代は、ほとんど集落はできていない。                                                                旧石器時代の石器のかけらが長野中学校校庭から見つかった。                                                             縄文時代は 土器の使用で石器時代に対して、生活の質は格段に向上した。

縄文土器模様の説明

3.米づくりのはじまり(弥生時代)
関東地方は日本で一番遅く米作りが伝わったところ。北九州から各地に伝わったものが、最後に関東地方に伝わった。
北関東で最古の農村集落は、「池上(いけがみ)・小敷田遺跡群(こしきだいせきぐん)」

池上・小敷田遺跡群

弥生時代から貧富の差がでてきた。洪水が多くやがて人が減っていった。

4.埼玉(さきたま)古墳群の成立(古墳時代)                                                                      関東の川の流れが安定し、古墳時代の最初頃集落ができる。愛知系の先進的な技術を持った人々が入植(土器から推測)
古墳時代の後半(5世紀後半) なぜか突然、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)が造られた。最初に墳丘長が120メートル 高さ10.4メートルの前方後円墳 稲荷山古墳ができた。

稲荷山古墳(Wikipediaより)

稲荷山古墳から金錯銘鉄剣(きんさくめい てっけん)が出土、年代(辛亥の年)がわかる歴史的価値が極めて高く国宝

金錯銘鉄剣

埼玉古墳群は、大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)(仁徳天皇の陵に治定)と墳形が類似

仁徳天皇の陵と墳形が類似

やがて本家から分家した勢力が力を持ち、埼玉古墳群から 真名板高山古墳(まないた たかやまこふん)、
小見真観寺古墳(おみ しんかんじこふん)、八幡山古墳(はちまんやまこふん)の被葬者がそれぞれトップとして順番に長(おさ)なったとみられる。八幡山古墳を最後に行田の古墳時代は終焉

行田の古墳達

その後 律令制度は衰退し 武士の時代に変わっていった。

 

最後に 環境グループから自己紹介

 

 

 

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