14期生 2学年 第18回講座 2題

年明け最初の講義は「忍のぎょうだの『昔ばなし』」と「市民大学を終えた後」の2題でした。

①忍のぎょうだの「昔ばなし」は、忍の行田の「昔ばなし」語り部の会による出前公演でした。当会は、平成23年8月発足し、会員数約100名、内語り部伝承者数18名の活動団体です。今回は、5名による5話の「昔ばなし」を拝聴しました。

第1話 小崎沼の伝説 奥山紘子氏語り

埼玉の東部に所在していたと伝わる沼にまつわるお話。農夫婦は畑仕事中に子供を大鷲にさらわれる。妻ミサキは子供を追って、尾崎沼で命を落としてしまう悲話です。

第2話 ガッカラ薬師と霊泉 瀧田法子氏語り

市立長野保育園近辺にある我空薬師の由来のお話。弘法大師が立てた一本の木の根元より湧き出たと言われ、霊水として知られました。薬師の森よりガッカラと空臼の音が聞こえたことから我空薬師と呼ばれるようになりました。投稿者の地区にあり、現在の姿と由来板です。毎年8月13日に祭礼が催されています。

 

 

 

 

第3話 蚊喰塚(カックイヅカ) 大澤勝次氏語り

戦国時代末期のお話。越後上杉謙信と忍成田長泰とのいさかいで、謙信が築いた皿尾城の北西(星宮小学校辺り)には1本の大きな欅があり、昔は罪人の仕置き場で裸にされた罪人が縛られ蚊責めの刑に処されたとのことです。

第4話 縁切橋と涙橋 滝沢布沙氏語り

忍城で1573年にあったお話です。城主氏長は、妻(金山城主由良成繫娘)と離縁することとなり、別れを惜しんだ橋を縁切り橋と呼ぶようになりました。また、妻は途中の橋で後ろを振り返ると幼い娘の甲斐姫の姿があり涙を流したそうです。この橋は涙橋となったと言われています。滝沢語り部の情感あふれる語りにホロリとしてしまいました。現在、橋の場所は住宅地となっていますが、地元のライオンズクラブが建立した石碑があります。縁切橋と涙橋の間は、歩くと徒歩約50秒ほどの距離とのことです。

第5話 常慶院都留姫様 平井ユリ枝氏語り

平井語り部が、本市民大学修業時グループ研究で常慶院で採録した口伝を基に「昔ばなし」化したとのこと。氏長、長親の大伯母の都留姫のお話。姫のお花見の折、弥助という若侍は姫に一目惚れしてしまいました。身分の違う片思いに災いを恐れた父親は弥助を殺してしまいました。これが、都留姫の知ることとなり、心を痛めた姫は出家してしまったというお話でした。この姫(常慶院)が開基となり創建しました。

皆さんの個性的な語り口でのお話を、堪能しました。                           これからも、行田の昔ばなしの採録、伝承に期待します。

②「市民大学を終えた後」は、行田市民大学 広報部が作成した、「仕事を卒業した後の新しい日常」というpptを使っての原口副理事長による講義でした。残されたセカンドライフの過ごし方として、市民大学関連組織で地域のためにできることを考えるのも選択肢の一つであること。市民大学運営部、広報部及び子ども大学等ボランティア活動の説明(すすめ)がありました。

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