15期1年第7回講座 忍城主はなぜ徳川幕府に重用されたのか

第6回講座「のぼうの城を検証する」に引き続き、行田市郷土博物館鈴木紀三雄館長の忍城講座第二弾です。

タイトルは「忍城主はなぜ徳川幕府に重用されたのか」副題は~「老中の城」の成立と変貌~です。

7月11日(木)午後1時半、雨模様ですが、猛暑の行田のものつくり大学C3010にての講義です。

本講座は、「16世紀末から19世紀前半までに忍城主となった大名家を概観し、「老中の城」と呼ばれた忍城と忍藩主について、主に幕府と忍藩の関係から考える。」ことになります。

忍城図についてはこちらの鈴木館長のYoutubeも参照ください。

1 松平家忠・松平忠吉 (天正18年(1590)~慶長5年(1600))

はじめて忍城主になった松平忠吉について考察します。

(1)松平家忠と忍城

松平忠吉が幼かったため暫定的に家康家臣の松平家忠が城預かりとして入城。

(2)忍城主松平忠吉

①松平忠吉について

天正8年(1580)生、徳川家康の4男。母は西郷局(お愛の方)。兄は秀忠。

②関ヶ原の合戦と松平忠吉

徳川方の主力である秀忠が不在→井伊直政に従い抜け駆けの先陣を果たす。

軍功により尾張国清州城52万石を与えられる。

まとめ

*家康の実子が城主となる→家康は忍城の重要性を認識

*利根川と荒川に囲まれた肥沃な土地→河川管理の重要性→治水の要

*武蔵国の北辺・上野国との国境→戦力的重要性

 

2 幕僚の時代(慶長5年(1600)~寛永10年(1633))

松平忠吉の尾張転出後、忍領は徳川家の直轄地となり、代官が支配。忍城には城代が置かれ、殿様は不在だった。

(1)忍城周辺(忍領)の徳川直轄地(幕領)化と農政・治水の整備

①検地と年貢割り付け状の発給 ②幕府による河川整備

(2)家康の動向

徳川家康がたびたび鷹狩で忍城を訪れる。

まとめ2

*家康の鷹場としての忍、忍御殿の存在→「大御所」家康が滞在する城郭

*幕府直轄の農政政策が忍領で実施→関東における幕府農村政策のモデルコースとの評価

 

3 松平信綱時代(寛永10年(1633)~寛永16年(1639))

(1)松平信綱の藩主就任

①松平信綱の経歴 徳川家光の小姓

②忍城主就任 寛永10年(1633)に老中となり忍城主(3万石)となる。

③忍領普請組合の設置 寛永12年(1635)幕府は利根川通・荒川通の普請組合(堤防工事等)を設置。

領主の支配が錯綜した地域で、河川工事に対応するため支配領域を超えた組織が必要。

まとめ3

*老中就任者の城主就任→背景には権力者の代替わりに伴う幕閣たちの人事異動
*もともと、信綱は忍領と関係が深かった(父親は忍領の代官、酒巻村は松平信綱の領地)

 

4 阿部家時代(寛永16年(1639)~文政6年(1823))

(1)阿部忠秋の藩主就任

①阿部忠秋の経歴 徳川家光の小姓から寛永11年に老中となる。

②忍城主就任

③徳川家綱政権と阿部忠秋

阿部忠秋の老中就任は寛文6年(1666)まで32年に及ぶ。

まとめ4-1

*阿部家は幕府要職に就任する譜代大名の典型→初代藩主阿部忠秋の功績による
*忍城は近世前期に「老中の城」として位置づけられる

(2)阿部家の大名としての特徴=老中の城

まとめ4-2

*阿部家は幕府要職に就任する譜代大名の典型

*忍城は近世前期に「老中の城」として位置づけられる

*近世中期以降は老中就任者の居城が関東以外に広がる→武蔵国譜代藩の役割が変わってくる そのなかで、最も長く維持したのが忍藩阿部家。

*領地の変遷元禄7年(1694)阿部正武10万石に加増。

(3)藩領の村々

(4)町絵図に見る行田

(5)忍城について

 

5 「老中の城」の転換

(1)文政6年(1823)の三方領知替 (知は地より広い意味)

忍藩主阿部正権→白河藩主へ

白河藩主松平信綱越中守定永→桑名藩主へ

桑名藩松平下総守忠堯→忍藩主へ

まとめ5

*老中就任者を出さない大名家の藩主就任→「老中の城」の終焉

*幕末の動乱の中で幕府の軍事動員の一翼を担う。

おわりに

◎家康の忍城重視に始まり、幕僚時代の農村政策が忍藩の基盤となった。

◎政治的には、松平信綱・阿部忠秋ら重要幕閣が忍城主に就任したことにより、「老中の城」として位置づけられる。

◎元禄時代に忍藩を支える武蔵国内の領地8万石が確定した。

◎阿部家は代々老中就任者を輩出したことにより、幕府を支える武蔵国譜代藩として役割を保ち続ける。

◎松平下総守家の藩主就任により「老中の城」としての役割が終焉する。

 

以上、途中に短い休憩を挟んで、1時間45分に及ぶ講義が終了し、最後に、「領地」と「領知」の違いについて質問がありました。

大名が実質的に支配することを領知すると言い、その支配された土地を領地というということで、私の長年の疑問も解けた次第です。

さて、講義の後に、本講座の担当である「福祉・健康グループ」のメンバー自己紹介がありました。

写真を撮り損ねてしまいました。後ほど、差し替えます。

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