令和3年度1学年(12期生)行田再発見!?自然観察会

11月25日の授業は新型コロナ禍のため従来のバス利用による自然観察会から座学となりました。

講師は市内前谷に在住の鳥の研究家でナチュラリスト・ネットワークの島田 勉先生です。

授業は古代蓮の里、行田浄水場のカモの飛来数などの行田の鳥、虫の話にとどまらず、「自然があるから歴史がある」全てが「水」に係わるとして「地形と自然」「自然と歴史」の係わりへと、先生の豊かな知識から自然・地勢・地名の由来等はその時代、場所に居るかのような錯覚を覚える映像的な講義で座学であることを忘れる2時間でした。

授業の内容を次に紹介します。

1.行田の地形と自然 関東造盆地運動:年間1㎜隆起し続ける秩父山系と房総半島の間の関東平野中央部は沈下し続けている。まっ平らな行田は年1~2㎜下降する見沼低地と年2~3㎜下降する加須低地の間で、古代から年1~2㎜沈み込み今も続いている。見沼中学校の水準点は7年間で14㎜下降している。行田は利根川と荒川が流れを移動した乱流地帯にある。秩父三山、三宝山・甲武信ケ岳・木賊山の甲武信ケ岳は甲斐・信濃・武蔵の三国の分水嶺で笛吹川~富士川・千曲川~信濃川・荒川となる。荒川扇状地の扇頂に寄居、扇端に熊谷・行田がある。荒川の分流は星川、旧忍川があり、星川は利根川とつながっていた。埼玉、長野、真名板に台地を成し、台地、自然堤防の上に人が住む。湧き水による稲作が始まった。

2.古代の行田の自然と歴史 a縄文時代 台地上に遺跡がある。年代順に10,000年前の渡柳の陣馬遺跡、6,000年前の長野の馬場裏遺跡、4,500年前の佐間の諏訪山遺跡、3,000年前の赤城遺跡(鴻巣市) b弥生時代 低地に水田が開かれた。稲作の適地。小敷田・池上遺跡と稲作:2,000年前の大規模水田と住居跡。 c古墳時代 台地や自然堤防上に古墳が築かれた。 さきたま古墳群:東国最大の古墳群、水鳥埴輪の出土。 酒巻古墳群:「旗を立てた馬」の埴輪の出土。 若小玉古墳群の八幡山古墳の石室は「関東の石舞台」と呼ばれる巨大な石室(群馬産の石が使われている) 若王子古墳の石室(秩父産の緑泥片岩が使われている) 将軍山古墳の石室(房州石[千葉県産]が使われている)*石室に用いた石が各地から運ばれてきた:古墳とモノの動きとして(川のルート)の存在。 万葉集において常陸の国守の部下の高橋連虫麻呂及び作者不詳(女性)に詠まれた「小埼沼」「埼玉の津」は地質調査の結果、現在の行田市史跡の小埼沼ではなく①小針沼の辺り②行田市野の辺り、かと考えられる。

3.古代から中世の行田の自然と歴史 平安時代 密教振興(天台宗)第二代点台座主(円澄)は「さきたま」の出身(初代座主は最澄) 鎌倉時代 源平の争乱:熊谷氏、久下氏などの活躍

4.戦国時代の行田の自然と歴史 戦国時代 応仁の乱1463年 成田氏による忍城築城:1479年には城があったためそれ以降15世紀後半 豊臣方の石田三成郡による忍城の水攻め:忍城を囲む久下~鷺巣神社~袋~堤根~白川戸の堤

5.江戸時代 忍城主「松平伊豆の上信綱」による「島原の乱」鎮圧、後に川越城主となるが忍城主として評価されるべきである。 寛永年間(1624~1645)人口増に伴う食糧増産のため瀬替えを行い新田開発:荒川の瀬替え1629年久下・新川、元荒川~和田吉野川・荒川、利根川の瀬替え1625年古利根川・星川~会の川 見沼田んぼと見沼代用水:利根川~星川、見沼代用水の開削により見沼田んぼ(1,000町歩の新田開発)

6.行田及び周辺の地名を名乗った在地有力者 行田市:長野氏、忍氏、行田氏ほか

7.「水の行田」川や沼、湿地、湧水などに関係する地名と水害の歴史 水に恵まれたことにより古代から水田稲作が盛んにおこなわれていた。人が住めばそこに地名が生まれる。行田周辺には川、沼、湿地、湧水などに関わる地名が多いが、一方で水(水害)との闘いの歴史があった。 地名 行田市 須加、下須戸(須は津のあったところ)

最大水害:明治43年1910年北河原で決壊、8,800余戸の浸水、北河原、照岩寺そばの中条堤に説明板がある。大水害:昭和22年1947年9月15日午後カスリーン台風の大雨で荒川(熊谷市久下地内)約100mにわたり堤防が決壊、17日には利根川の堤防決壊による濁流と合流しさらに被害を拡大した。清水町そばの決壊跡地の堤防上に記念碑が建つ。

水害:昭和41年1966年6月台風4号に伴う梅雨時の大降雨と9月25日の台風26号の大雨による洪水があり災害救助法が適用され二度の自衛隊の出動を仰いだ。出動に感謝して行田市自衛隊協力会の発足に繋がる。令和元年2019年10月12日午後台風19号が関東地方を縦断し、忍川が緑町付近で氾濫して浸水被害が出た。

受講生から行田市内の蛍の生息について、質疑があり講師の回答で終了した。子供の頃は、田んぼも耕地整理されておらず家の前の「堰ぶり」(田圃の中の用水)に蛍が飛び、シジミ、タナゴもよく取れたことを懐かしく思い出しました。

 

 

 

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