初めての1年生の授業にわくわくが止まらない!

2021年5月13日午前10時から、行田市グリーンアリーナ研修室で行田市民大学の1年生の講義が初めて行われました。

講義名は「郷土の地形の成り立ちと古代の歴史」

講師は行田市民大学で毎年講義をお願いしている、行田市文化財保護課 中島洋一課長。

コロナ対策のため行田市民大学の理念の唱和は行わず、司会が読み上げたあと、初めての講義が始まりました。

 

「『シビックプライド』とは郷土自慢だけではなく、地域の人がいきいきと誇りをもってを持って自分たちの地域を育てていくこと、地域の成り立ちを知って、それをどう育てていくかということ。行田市民大学の意味合いも同じだと思います。今日はその基礎の基礎として行田の成り立ちについてお話します。」

と始まった講義は、行田の古代の地形の話、なんと50万年前からの行田の地形の変化の話でした。

50万年前は、「古東京湾」と呼ばれる海が内陸まで広がっていました。

10万年前、7~8万年前、3~4万年前と地形の変化の話が続きます。1万年前に川口-大宮-上尾―北本―行田-館林と続く大宮台地が出来上がりました。

私たちが平らだと思っている行田の地形は、実は大昔の利根川や荒川などの河川の影響などで、隆起したり沈下したりして変化して、出来上がりました。

今でも、その高低差を見ることができます。

続いて、縄文時代、弥生時代、古墳時代の興味深いお話が続きました。

古墳時代には利根川、荒川の流れが決まり、稲作に適した土壌ができました。濃尾平野の最新式の稲作技術が行田に伝わりました。

さきたま古墳は古墳時代後期に突然でき、当時、東日本最大の古墳を作り上げました。お互いの古墳を隠さないように主軸をそろえて作ってあります。

中の山古墳の前方部側から見るとすべての古墳を見ることができます。

7世紀からは行田の地位が低下し、国分寺もできませんでしたが、平安時代まで続く集落もありました。

10世紀頃平将門の乱が起こり、武士が台頭して、中世になります。

50万年前から、10世紀までの行田の歴史は、とても変化に富み、奥深いものでした。

 

授業後、1年生に感想を聞きました。

「行田ってすごいですね。古代の歴史にはあまり興味がありませんでしたが、わくわくして聞きました。今まで気にも留めずに車で発掘現場を横目で見るだけでした。もっと行田の歴史を知りたいです。」

他の1年生の皆さんも、休み時間に中島課長に質問するなど、進んで講義を聞こうという意欲にあふれていました。

次回からの講義も楽しみにしている様子でした。

 

 

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